まちかです!よろしくおねがいします。

まちかと申します。20代です。思ったことを発信していきます。

ドキドキ!まちかの自己紹介!!(2万字チャレンジ!!)

2017年12月14日公開

随時更新していきます。

 

 

こんにちは。まちかです。よろしくお願いします。

 

このブログはまちかが言いたいことを言うだけのブログです。

 

わたしもブロガーの端くれとして諸先輩がたに負けないくらい濃厚な自分語り素敵な自己紹介をしたいと思います!

 

自己紹介初心者なので、お手柔らかにお願いします><

 

あと、頭を使って頑張って考えたこの自己紹介は自分用の自己紹介テンプレとして自由に使っていいですにゃ!

その代わりちゃんとリンクでこのブログ貼ってね!

 

「引用するならリンクはる」はまちかとのお約束だよ!

(守らない奴は心底消滅すればいいと思う)

 

 

まちかの概要

f:id:macska23:20171214074441j:plain

プロカメラマンの方が撮影した写真なのね。ニット好き。夏だけどこれは麻のニットだから暑くないよ!

 

誕生日:6月某日(20何才)

血液型:AB型

出身地:国外

現住所:東京

職業:ほぼニート

好きな食べ物:プリン←Point!

嫌いな食べ物:青いお魚がちょっと苦手

好きな動物:ネコが特に好き

趣味:人間観察←Point!

チャームポイント:お尻

身長:日本の平均より15cmくらい高いと思う

体重:しばらく測ってないからわからない。一時期より減ってると思う。心配。

 

注:Pointの部分はアニメのキャラクターやアイドルの類を参考に、読む人にもっとも媚びたものを考えた結果算出された完璧な答えです。本当は生ハムフルレバで泣きながらやるFXが好きです。

 

 

各年代の頃のまちか

とても小さい頃

普通。海が好きだった。よく木の棒を拾っていた。虫が触れた。

 

小学生くらいの頃

普通。どちらかというと図書館系。木の棒を拾わなくなり途中から虫が触れなくなった。

 

中学、高校生くらいの頃

楽しい時も辛い時もあった。

あと勉強が嫌すぎて死にそうだった。木の棒も虫のことも忘れていた。

 

大学の頃

たのちー٩( ᐛ )وうえーい!!木の棒も虫のことも忘れていた。

 

大学院の頃

ちゃんと勉強した。木の棒も虫も気に留めなかった。

 

 

社会人の最初の頃

1年目:お洋服を売る仕事

2年目、3年目と半分くらい:教える仕事と、それに関わるあるプロジェクトの仕事

以降、今の仕事。

 

ちなみに、勤めてた時はどの職場でも大体マスコット的な感じだったよ!

最後に来て最初に帰るし、いつもフラフラしてて仕事してるのかどうかすら不明のまちかの存在はまさに職場のアジールだったよ!実際、仕事してたかどうかは自分でも怪しいところが多いよ!

 

 

まちかに気になる10の質問!!

 

Q1.最近、坂本龍馬が教科書に不要であるという議論が起こってますがどう思いますか?

 

A.どうでもいいです。けど悲しむ人がいるなら残してあげたらいいんじゃないかな。

 

Q2.あなたの親と恋人が川で流されています。どちらを助けますか?

 

A.どっちも。

 

Q3.2の質問にちゃんと答えてください。

 

A.命に重さはないと思います。

 

Q4.小さい頃の夢は何ですか。

 

A.作家。

 

Q5.宝くじに当たったらどうしますか?

 

A.泣かずにフルレバのトレードを楽しむ。

 

Q6.占いは信じますか?

 

A.一度信じそうになりました。今はそうでもありません。でも素敵だと思います。

 

Q7.いま何問目?

 

A.7。

 

Q8.武器と防具どちらにお金をかけますか?

 

A.主人公は武器に寄せつつ打たれ弱いキャラの防具優先。

 

Q9.今話題の仮想通貨についてどう思いますか?

 

A.そもそも人類の歴史は政治的な権威をどう規定するか、また為政者側はその権威をどのように保持するかを常に考えてきた側面があります。しかし、政治的混乱の経験、技術革新によって権威の流動性が時代を経るごとに高くなっています。つまり、王政から社団国家、ネイションステイト、インターナショナル、グローバルの大きな流れがそのもっとも特徴的なものです。そうすると当然、通貨発行という権威のサンクチュアリがITにより崩壊し国家という最大規模の権威の枠を超えて広まるのは火を見るよりも明らかなことだと思います。そのため、

 

Q10.長いしくどい。もういいです。

 

A.はい。よく言われます。

ちなみに仮想通貨もお金ですからトレードができますよ!

 

Q.そうなのですか?

 

A.そうです。全てを考慮した結果、もっとも使いやすいのはBit Flyerだと思います。

 

 

****ここにBit Flyerのアフィ****

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介を書くって疲れるね。とても。

自称プロブロガー界隈の2万字はすごいよ。本当に。

 

その情熱はきっと何か大きなことを成し遂げる原動力になると思う。

 

厳しい意見もあるかもしれないけど負けずに頑張って欲しい。

 

この自己紹介も2万字になるまで濃厚な自分語り素敵な紹介文を足し続けていきたいと思います。

 

 

あと、書いてて思ったのは人は少なからず自分のことが好きってことだね。

自分の内面から溢れ出る自己顕示欲を抑えるのに一苦労だったよ!

 

 

 

せっかく読んでくれた方に申し訳ないくらいふざけた記事でわたしが泣きたいほどです。

でも全部本当なのでどうぞご理解下さい。

 

 

ありがとうございました。まちかでした。

 

 

 

写真引用元:

pixabay.com

▲アフィー、キュレーションサイト御用達のPixabay。素敵な写真がいーっぱい。

生きることに疲れたら。

こんばんは。まちかです。よろしくお願いします。

 

 

ふとやってくるこの気持ち。

どうしていいものかもてあます。

 

生きることはむつかしいって、だれでもがいうのだけれども

本当にむつかしいときは

声だって出ないくらい苦しいんだね。

 

どうしようもなく落ち込んで

どうしようもなく自分を嫌いになって

明日がまた今日と同じような日だと思えて

もう明日なんか来なければいいのにって思う。

 

そんな気持ちをもてあます。

 

わたしは生きていかねばならない

それは当然のように。

自然に。

明日の次も明後日の次もその次も。

 

でも、

明日が楽しみじゃなくなって

生きることに疲れたら

いちど立ち止まってみるのもいいかもしれない。

 

部屋は汚れてないかな

洗濯物は畳んであるかな

靴は綺麗かな

 

そんな日常に

ゆっくり向き合ってみるのもいいのかもしれない

 

 

 

 

 

ちなみに。

「どうしても生きることが辛い」

そう思ったら

 

この本を手にとってみて

なぜか

優しい気持ちになれるから

 

 

 

わたしが棄てた女 (講談社文庫)

わたしが棄てた女 (講談社文庫)

 

 

 

ありがとうございました。まちかでした。

 

 

 

 

恋に効く本の紹介|テオドール・シュトルム『みずうみ』

こんばんは。まちかです。よろしくお願いします。

 

クリスマス目前でそわそわ過ごしている方もいるではないでしょうか。

そこで今日は「恋に効く本」を紹介します。

 

ちなみにわたしのクリスマスの予定は教会でお祈りです。

 

 

嘘です。

 

 

愛とは違い恋は非常に上下の振れ幅とその間隔が大きいものです。

 

喜び高鳴るときもあれば、地の底から這い上がれないほどの落ち込みもあります。

 

まあたかだか20数年生きた程度ではありますが。

わたしは人並みに恋を経験してきたと思っています。

 

恋を進めるもの

やきもきするような恋ではありますが、それを先に進めるものは間違いなく「自信」です。

さて、「自信」なんて言ってしまうと身も蓋もなく今すぐにでもこのページを閉じたくなる人もいるでしょう。

 

「そんなことはわかってるよ」

「そんな悠長なこと言ってられないよ」

「もっと直接的なアドバイスが欲しいよ」

 

そういう気持ちもわかります。

ただ、そう思い焦がれている状態では悩みが解決されるような展開にはなかなかなりません。

そもそも、ほとんどの場合でうまく行く恋は出来レースなものですから。

そして出来レースに持ち込むのは自信のなせる技です。

そして遠くにあるものを引き寄せるのもまた自信なのです。

 

どうすれば自信がつくのか

自信は目に見えます。

 

今まで何をしてきたのか。

今どう過ごしているのか。

これからどうなろうとしているのか。

何を考えているか。

何を知っているのか。

 

それらすべてのいわば自分という人間のあり様が「自信」となって他の人の目に映るのです。

 

で、あれば自信をつけることは一朝一夕でできることではなさそうに感じてしまいます。

 

でもご安心。

 

読書が自信をあたえてくれます。

 

焦らずにじっくりと

何事もそうです。

焦らずにじっくりと自分をより高みに引き上げてください。

 

面倒臭いと思ったあなた。

嘘だと思ったあなた。 

 

一度でいいのでわたしのことを信じてください。

 

本は人に知性を与え、より深い思考の中に誘い、時に一歩を踏み出す勇気をくれます。

わたしが確信するに、多くの本を読んでいる方は自然と自信を身にまとうことになります。

 

知らない話を知る。

自分の体験していない人生を追体験する。

文字を通して自分と対話する。

 

そういう本を読むことで得ることのできる貴重な経験がもたらす未来は、本を読んでいない未来と比べるとまるで違います。

 

もちろん、

これは非常に重要なのですが、

本を読んだからと言ってそれを自慢げに話すのは違います。

 

読んでおきながら話さないのです。

 

自分が持つ10の知識を必死になって10使い切るかのごとく話す人は、可愛くはありますが撫でたいくらいで終わりです。

実際には絶対に撫でたりしません。隙あらば猫パンチです。

 

自分が持つ100を自然と身に纏いながら、そのうち3つくらいしか見せてくれない人にはとてつもなく惹かれていくものです。

 

そうなのです。

読書によって人間の深さが変わってくるんのです。

誰しも少しはミステリアスな部分があったほうが心がくすぐられるというもの。

そのミステリアスな深さ、つまりそこはかとなく香るような自信を本は与えてくれるのです。

 

クリスマスを前に

さて、ここで重要なのはどんな本を読んでおくかです。

クリスマスまでに。

なにもクリスマスに焦る必要はありませんが、焦りたい気持ちの人もいるでしょうから

まずは一つの期限としましょう。


ちなみに恋愛のハウツーを読むのもまた一つでしょうが、本当に相手を惚れさせたければ表層の技術は表層であることに留意すべきです。

 

そこで、自信に変わる深い知性を育むものとして、

まず最初にわたしが紹介するのは、これまた有名どころではありますが、ドイツのリアリズム文学からテオドール・シュトルムの短編集『みずうみ』です。

 

みずうみ 他四篇 (岩波文庫)

みずうみ 他四篇 (岩波文庫)

 

 

ドイツ文学、リアリズム

非常に毛嫌いされそうな言葉です。

でも、この言葉を自分のものとして内に秘めることのできる人と毛嫌いしたままの人では

その魅力はどちらが如何に?

 

シュトルムは非常に読みやすい作家ですし、短編集なので時間もとりません。

それにこの短編集は翻訳も非常に優れています。

皆が毛嫌いしそうなものだからこそ、手に取れば自信になるのです。

 

小説なので詳しくは書きませんが、

 

一面に湿地が広がり、牧草地とのコントラストをなす美しい北ドイツを舞台に淡い恋心を抱いた青年の一生をしっとりとした雰囲気で楽しむことができる「みずうみ」。

 

地方に住む貴族の老婦人が時代の移り変わりに立って語る初恋の思い出「広間にて」。

 

これらの物語を知れば、生の深さも変わってくるはずです。

 

クリスマスまであと1ヶ月を切りましたが、

通勤の電車の中で、

寝る前のほんの少しの時間、

 

いつもの携帯を置いて読書をしてみませんか?

 

 

 

 

ありがとうございました。まちかでした。

 

みずうみ 他四篇 (岩波文庫)

みずうみ 他四篇 (岩波文庫)

 

 

ミニマリストのブログが気持ち悪いと感じるのは自然な感情だよ

おはようございます。まちかです。よろしくお願いします。

 

自称ミニマリストに猫パンチ!

猫パンチで心がえぐられそうな人はそっ閉じしてにゃ。

にゃーん。

 

あと読むんだった最後までちゃんと読んでにゃ。

 

*****

 

多いよねミニマリスト

喫茶店とか入っても目をキラキラさせて

ミニマリストがさ」

って言ってる相方を見ながら、もう一方は寂しそうな目をしている夫婦とかいるよね。

 

それは自由だけども、ある一定の段階を通り越すとちょっとした気持ち悪さが伴うのに気づいた方がいいよ。

 

自称ミニマリストの気持ち悪いブログあるあるー

自称ミニマリストのブログあるあるだよー。

 

  • メインカラーは白
  • ヘッダー画像は白シャツに黒のクロップド丈の自分の写真
  • 自己紹介の濃厚な自分語り
  • ケーブルオーガナイザーの有効な使い方
  • 無印良品
  • 竹細工みたいならたんのかご
  • カバンの持ち物を床に広げて上から撮ったアングルの写真
  • ↑の写真にメガネも写っており普段お前どうしてんの?っていう疑問を投げかける
  • シンプルなはずなのにしつこい部屋の記事(ローテーブルにMac bookポツン)
  • しつこい服の記事(無印の白シャツ、ニューバランス、ポーターの上開いたカバン)
  • 全体的に服がよれてたり毛玉だったりするし、汚い鏡の前での謎のコーデ写真の立ち方が自信なさげで見ているこっちの心がミニマルになる。あと写真撮るために新聞紙の上とかで靴履いてる。

 

とステレオタイプを押し付けまくってたらなんか疲れた。

 

そもそもミニマリストの定義自体が曖昧

わたしは定義の曖昧なものって好きだよ。

白黒つけない玉虫色の答えって必要だと思うから。

 

でもね、

言葉にもできてないことを堂々と「これが正しい姿です!」とか言ってるの見るとついつい猫パンチしたくなっちゃうの。

 

まずはそれこそが気持ち悪さを漂わせるポイントなんだよね。

 

そもそもミニマリズムっていう考え方は技術を使って色々な機能を一つのものにくっつけてくっていうものじゃないのかな。機能の拡張というか。

i Phoneとか。電話もできる、メールもできる、動画も撮れる、地図にもなるみたいな。

 

で、その延長で例えば洋服をたくさん持つんじゃなくて一つの洋服にいくつかの機能(着るシチュエーション)を与えるとかがあるんじゃないかな。

仕事も白シャツ、普段着も同じ白シャツみたいな。

 

でも多くのミニマリストがなぜか「ものを極力減らすことが正義」みたいになってるじゃん。

 

最小のもので最大の機能を目指すなら、ベッドとか布団まで捨ててシャカシャカした寝袋にくるまって硬いフローリングの上で寝る必要ないよね。

 

ものを持たなければいい

じゃないんだよね。

利便性、機能性の追求で豊かな暮らしを目指すんだよね。

だからたまにいる満ち足りたような本物のミニマリストはカッコよく見えるんだよね。

 

でも布団を捨てて寝袋にくるまって腰痛めるのがかっこいいとは思えないよね。

 

だいたいさ、君の家に友達とか遊びに来ないの?

遊びに来た人はどこに座ればいいの?

地べたにペタって感じなの?

申し訳程度に寝袋敷くの?

いきなり寝床にご案内って破廉恥がすぎますわ。

 

 

そうすると「旅が多いから〜」とかいうじゃん。

 

君って別に旅する仕事じゃないよね?

君の仕事って転勤ありじゃないよね?

君って出張行かないよね?

 

だったらソファーベッドの方が機能的だわ!!!!!!

 

▲一時期使っていたソファベッド。低価格なのでそれなりのものだけども価格とクオリティのバランスはいいと思う。友人が来ても迷わず座れる場所を確保できるから、寝袋に寝てる人におすすめ。特に破廉恥さもない。

 

ブログという自己顕示欲の塊の例にもれず他者に強要する

で、わざわざ自分の自称ミニマリストライフをブログで見せつける自己顕示欲の塊(つまり外見のミニマルさと比べて中身は全くミニマルになれていないのだけども、そこは彼ら彼女らの可愛いところだよ!まちかはそういうの愛おしくなるね。撫でたい。

な彼ら彼女らは、もれなく周りに自分の信条を強要してくるよね。

 

これが気持ち悪いポイントの2つ目。

 

ミニマリスト的なものにハマっちゃったお母ちゃんが子供達にも何もない生活を強要するとか。あるあるすぎて猫ほどしかないわたしのひたいにも冷たい汗が流れる。

 

これが非常に厄介で、いわばホラーゲーム『SIREN』の屍人なんだよね。

屍人が見ている世界。それは幻想的でとても美しい世界。こんな美しい世界は、独り占めするのはもったいない。普通の人間の人たちにも見せてあげよう。その様な考えがあるのか定かではないが、屍人が見る美しい世界普通の人を招きいれようとして、襲い掛かってくるのである。

▲引用元:http://dic.nicovideo.jp/a/屍人の思い殺り

 

SIRENの屍人は元は死んじゃった人なんだけども、特殊な赤い水の力で人ではない「屍人」として復活するの。

で、屍人になると世界がキラキラして見えて「こんないい世界に他の人を引き入れたい」って感じで主人公とかに襲いかかってくるの。見た目は完全にゾンビ。

 

まさにこの状態。

 

SIREN

SIREN

 

 ▲2の雰囲気も嫌いじゃないけど、よりどろっとした雰囲気の1の方が承認欲求のお化けの内面を見ているようでオススメ。身の回りに屍人系ミニマリストがいる人はこれをプレイしながらそれとなく屍人が襲ってくる理由を言って様子をみるのもいいかもしれない。

 

気持ち悪い自称「ミニマリスト」は酸っぱいぶどうさん

結局のところね、

多くの人たちに「気持ち悪い」って思われてしまう自称ミニマリスト酸っぱいぶどう食べたいけど我慢するさんなんだよね。

イソップ童話の有名なあれね。

 

きつね「あー、あのぶどう食べたいなー。でも木の上まで手が届かないなー。取れないなぁー。そうだ!あのぶどうはどうせ酸っぱいし食べれなくてもいいや!へへw」

 

これ。

今の世の中経済格差は広がってるけども、一方で生活するだけならばそれほど困らないのも現実なのよ。

で、気持ち悪い系の宗教じみたミニマリズム思考の持ち主、つまり自称ミニマリストさんって、本当は所有欲とか富への欲求がものすごく強い気がするのね。

ゆえの、ものはなくても生きていけます!っていう「ミニマリスト宣言」な気がするの。(そりゃ今の時代はものがなくても生きていけるよw)

 

少なからず前時代的な所有へのアンチテーゼとしての意味があるのなら、生活の豊かさを自己の内部に求めるもんじゃないのかな。

「見て見て!わたし9割もの捨てたけどこんなにキラキラしてる!」

これいう必要全くないよね。

 

でもモノに溢れた生活の豊かさを酸っぱいぶどうにした途端、

その正当化というか他者への攻撃的な態度が表に出てくるんじゃないかな?

 

ねえどうなの?

 

 

 ▲シャインマスカットは甘くて美味しい。手の届かないぶどうの甘さを認めたくなくてもシャインマスカットは甘くて美味しい。ミニマリストの自己崩壊が始まる。

 

ミニマリズムの持つある側面には共感できる

一方で

本当の意味でのミニマリズムには共感できる部分があるの。

生活の知恵っていうか。

 

突然の自分語りを許してね。

 

*****

 

例えばね、わたしはとてもお洋服が好きなの。

初めて社会に出たのはアパレルショップでのお仕事だったこともあってとてつもなくお洋服が好きなの。

でもね、100着も200着もお洋服持ってても結局着ないの……。

それにお部屋の中も服で溢れるし、お金だってたまらない。

 

で、23歳の時に気づいたの。

わたしは「服を持つことでストレスを抱えてる」って。

そこからは本当に好きなお洋服だけ持つようにしたの。

今では15着にも満たないお洋服しか残ってないの。靴は2足だけ。

 

でもね、それでもお洋服は好きだしその少ないお気に入りを修理しながらしっかり手入れしながら着ることがとても幸せなの。

2日に1回のお洗濯とアイロンの時間は幸せなの。

靴は何度もソール張り替えたし、お洋服はここ数年買ってすらいないの。

気に入ったブランドのシンプルなものを持つことが、オシャレとお洋服の好きなわたしの中での答えになったの。

 

ものを大事にするようになったの。

 

これ自体をわたしはミニマリズムとは思わないの。

これはわたしの生活の行き着いた先だったから、1着に色々な機能をっていう発想ではなくてストレスが溜まってしまって本当に虚しさがあったからなの。

自分の虚しさから逃避せずにどう向き合えばいいか。

そうした結果が今だと思うの。

だから自称ミニマリストさんたちが言う「シャツは安いの買い替えながらでいい」とか「1足を履きつぶして毎年買い換えるほうがコスパいい」って言うのには相容れないの。それ全くおしゃれじゃないわ。

 

*****

 

でも「ものを持たないことで精神的に豊かになる」って部分はちょっとだけ理解できたの。その極めて遠いところにありそうなイデアみたいなもんには共感する部分があるのね。

 

 

まあ、だからといってこれを他人に強要しようとか、ものを持ちまくってる奴が悪なんていう気にはサラサラなれない。

 

更に言えば、別に服が少ないからって他の持ち物が少ないわけじゃないの。

家は快適なソファと本の山で溢れてるし、おしゃれな照明があったら結構買っちゃうし、ベッドは2階の窓際に小さなサボテンを置いて据えてるし。

モノに溢れてるよ。

 

でも気持ちは随分豊かだよ。

 

わたしは何事も極端すぎるのも考えものだと思うの。

あれもこれもぜーんぶ型に嵌まる必要ないよね。

でも型にハマるのは安心できるんだよね。

 

だから過剰なまでのミニマリストっていうのは

 

「心の豊かさ」を説きつつ

その実、型にハマらなければ安心できない「心の貧しさ」も持ち合わせてしまってるんじゃないのかな。

 

そのダブルスタンダードな部分がまさにミニマリストのブログが「気持ち悪い」って言われる理由じゃないのかな。

 

まずは自分を認めるところからじゃないのかな。

 

そうしないといつまでも「気持ち悪い」っていうサジェストは消えないと思うよ。

 

以上、google先生、評価よろ!

 

 

ありがとうございました。まちかでした。

 

本の紹介|苅谷剛彦『知的複眼思考法』

おはようございます。まちかです。よろしくお願いします。

 

今日からちょっとずつ機会を見ながら本を紹介したいなって思うの。

 

ちなみに書評ではないから読み応えのあるエントリーではないと思うのね。

まちかってやつがオススメの本を紹介してる。そういうものよ。

 

最終的に「読書サークル」的なのできたらいいな。

月に一回都内のカフェに集まってその月の課題図書についてみんなでお話しするの。

ギラギラしたビジネス系サークルじゃなくて、ふわっとした集まりなの。

もちろん美味しいチーズケーキが一番の目的ね。

 

 

*****

 

まちかは小説もエッセイも詩集も専門書もビジネス書も読むし、

洋書も結構読むの。

雑誌も写真集も細かく隅っこのキャプションまで読むの。

 

まあ読んだ内容のことをぜーんぶ覚えてるかい?って言われたらもちろんそんなことはないのだけども、

少なからず自分の人生に役立ってるものばかりなの。

何より自分の知らないこと、まだ言葉にできないことを誰かが言葉にしてくれてるのはとってもありがたいことだよ。

 

だから、ちょっとずつだけどもオススメの本っていうのを紹介していけたらなって思うの。

 

記念すべき1冊目

さて。

最初の記念すべき1冊目は苅谷剛彦さんの『知的複眼思考法』なの。

 

いきなり有名すぎるくらい有名な本だけども、これを「読んだ人生」と「読んでない人生」では実りの豊かさが違いすぎるのではないかなと思うから、紹介するね。

 

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

 

 

まちかが『知的複眼思考法』を初めて読んだのは確か大学3年生の冬だったの。

 

わたしは社会科学のゼミに入ってたのだけども、教授が極めて鋭い人だったから毎月のゼミの発表で思うように論理だって説明できない自分に嫌気がさしてた頃なの。

 

まちかはお勉強は苦手だったけども、読書だけはしてきた人だったの。

だから、偏りはあっただろうけど知識と思考力には少なからず自信があったの。

だけども、ゼミの先生にかわゆいまちかのお鼻は簡単におられたのね。

 

「どうして先生は色々な人の小難しい発表に簡単に真をついた質問をするのだろう?」

「何でわたしは構造を理解して話すことができないのだろう?」

 

そういう知性への幼い欲求が、わたしにこの本を手に取るよう仕向けたの。

 

間違いなく言えるのはこの本がなければ今のわたしは無いし、その後大学院に進むことも海外で暮らすことも、自分自身でビジネスを立ち上げることもなかったと思うの。

 

人生を変えた一冊(スキルブック部門)を選べって言われたら、『知的複眼思考法』だと思えるの。

 

そんな本だよ。

 

苅谷剛彦『知的複眼思考法』

この本は2002年に初版が書かれたものなのだけども、今読んでも古臭さが一切ないの。

中には「これに書かれてるは今の時代にしたら当たり前」みたいなレビューもあるけども、それは大きく的を外してしまってるの。

 

苅谷先生が『知的複眼思考法』の中で伝えているのは、「疑って自分の頭で考えてみよう」ってことなの。

それは新しさなんてないさ。そんなの聖書の時代から書かれてるよ。

 

だけども、具体的にその「疑って自分の頭で考える」っていう思考のプロセスを言語化できている人がどれほどいるのでしょう。

わたしはこれ系の「ロジカルシンキングのスキルブック」的なのたくさん読んできたけど、苅谷先生ほど平易な文章で理解しやすく書いてくれている人はいないわ。

 (まちかはこの「わかりやすさ」こそがこの本の一番のポイントだと思ってる。同じような本はもともと読者のリテラシーが高くないと吸収できないものも多いし……)

 

ロジカルシンキングは無意識のうちに実践している人もいるけど、それは極めて稀なごく一部であって、多くの人にとっては習得に非常に難しいプロセスを必要とするんだよ。

ただ、何にでも言えるけど言葉にできれば理解の速度は飛躍的にはやくなるんだよ。

 

だからこの本を読んでみると、いわゆる「頭の切れる人の考え方」っていうのを客観的に見ることができるようになって、自分自身もそういう思考法を実践できるようになるのね。

『知的複眼思考法』と苅谷先生の問題意識

これはとても大切なのだけれども、本を書いた方が何に問題意識を持って情報の発信をしているのか。

苅谷先生は『知的複眼思考法』の文庫版に書いたまえがきのいっちばん最初でこう言ってるの。

何とも言えない不透明感が私たちを取り囲んでいる。

他方で、善か悪かといった白黒の決着を迫る、わかりやすい二分法的なものの見方が広まっている   

苅谷剛彦『知的複眼思考法 誰でも持っている想造力のスイッチ』講談社、2009年、p.3。

 

(「二分法」って言葉に嫌気がさしそうな人も、投げ出さずこの本を手にとってみてね)

 

世の中は「yes」か「no」か、思考停止で解決できる問題だけではないんだよってことなの。

さらにその答えを誰かに強要されるだけではなくて、自分の頭で考えることでより良い答えにたどり着けるんだよっていうことを苅谷先生は伝えたいって思ってると思うの。

ほら、色々なメディアや広告なんかって常にわたしたちに思考を停止して「これは良いものです」って迫ってくるじゃん。

 

だからその波に飲まれないような批判的思考力を養い実践する「考え方」を順を追って説明してくれているの。

 

「常識を疑う」という当たり前の営み

「常識を疑う」っていうのは当たり前のように語られるよね。

 

会社で上司から「君の発想は常識的すぎるよ」「もっと自由な発想で仕事できないの?」って言われるとイラっとくるもんね。

わたしたちは大人になる過程で常識を疑う必要性ってのには気づいているから。

 

だけども、じゃあ「どうやって常識を疑うの?」っていう質問に的確に答えてくれる上司っていないよね。さらにイライラが加速するね。

 

何度も言っちゃうけど、苅谷先生が『知的複眼思考法』の中で丁寧に説明してくれてるのはまさにこの「常識を疑う」っていう営みの具体的なプロセスなのね。

 

先生は具体的な日常のシーンや社会事象を例にとりながら

読者が「常識を疑う」っていう営みを「理解して」身につけることができるようにしてくれているの。

だから、この本を読んで理解した後からは色々な事象に対して同じように「常識を疑う」プロセスを踏むことができるようになるわけだ。

 

それに本の中で苅谷先生は読書の有用性を強くおっしゃってくれてるの。

本をどう読めばステレオタイプに陥らずにyesかnoかだけでない、より豊かな思考を行うことができるようになるのか。

本を読むことが大切だっていうけど、具体的にどう大切でどう読めば体に知識が染み込み、具体的な行動に移せるのか。

だからたくさん読書する前の最初の一冊としてまずはこの本を読んでみてください。

 

学生さんもビジネスマンもこれを読まないのは損だよ。

 

 

*****

 

 

まあ、あんまり詳しく書き募る気もないからこの辺りにしとくけども(この時点で3000文字を超えててびびったのね><)、

 

肝心の「知的複眼思考」って何なんだよ!

って方も読んでください。

 

大学生なら大学の図書館にも行ってみよう!絶対置いてるはずだから。

 

 

 

ありがとうございました。まちかでした。

 

 

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

 

 

なぜ自称プロブロガーは壮大な自己紹介を書きたがるのか

おはようございます。まちかです。よろしくお願いします。

 

今日も寒いね。

 

そんでもって今日も偉そうに書いていくけど最後まで読んでくだちゃい。

 

なぜ自称プロブロガーは壮大な自己紹介を書きたがるのか

なぜなのでしょうか。

フロイト氏が生きてたら何かしら示唆的な分析をしてくれそう。

 

*****

 

もうさ。猫も杓子も2万字くらいのプロフィール書くよね?

 

  • 生まれは田舎
  • 健康に育つも泣き虫
  • 小学5年生の運動会で活躍
  • 中学で暗黒面に落ちる
  • 高校でぼんやり進路決める
  • 楽しいだけの大学生活
  • 3年生くらいで就活とか「日本社会」に疑問を持つ
  • ヒッチハイク
  • 国外バックパッカー

 

これ一連のテンプレね。

 

いやーん。

わたしわかるよ。

ファン商売(信者ビジネス)だから「特殊な僕(私)いいでしょ」って大切だよね。

埋もれちゃうもんね。平々凡々だと。

 

(ちなみに、どんなに頑張って2万字書いててもテンプレのごとき平凡さが滲み出ちゃうのが彼ら彼女らの最高の魅力だって最近は思ってるよ!)

 

So cute!!

 

The 自己顕示欲!!

とはいえ、彼ら彼女らの行動の先にはそれよりももっと重要なことがあるのです。

確信できますが、「自己顕示欲」「承認欲求」が先行しているのです。

 

自分を大きく見せたい。

誰かに認めて欲しい。

 

それはとても大切です。

自分を肯定するところから成長は始まります。

 

ただね。

マズロー氏は人間の欲求を5つの段階に分けて考えてるのね。

承認欲求は4つ目のところなのだけどもね、その中にも低次のものと高次のものがあるって言ってるの。

 

ただただ認められてい、すごいって言われたい、注目されたいって気持ちが満たされた状態は低次の自己顕示、承認欲求が満たされた状態であって、

「そこにとどまり続けるのは危ないですよ〜」ってマズロー氏も言ってるのね。

 

単に認められたいって欲求でも、高次になると

自分に向けた自分の信頼感とか具体的に「こういうことやろう!だからこれしよう!」みたいな行動を伴って初めて満たされるものになるそうなのね。

 

いや〜

 

至言だわ。

 

だからね、本当に満たされている状態、自信のある状態なら

教科書に出てくる大半の人のWikipediaページよりも多い2万字にもなるプロフィールを顔出しでデジタルタトゥーなんかしないのよ。

 

過剰な承認欲求は身を滅ぼす

これはさ、感覚的にわかってる方は多いと思うのだけれども

過剰な承認欲求は身を滅ぼすのよ。

 

それって何かにつけて

「俺すごいでしょ?」

「私に任せて!」

 

って言い続けてる人になるの。

 

高田純次氏が「自慢話、説教、昔話は年取ったらやっちゃいけない」らしきことを言ってたと記憶してるんだけども

 

そこにあるのは自己顕示欲と承認欲求なんだよね。

 

自分の身近に散々昔話の自慢をしながら説教かます人がいたらやっぱりキツいじゃん。

わたしは結構いろいろ寛容な人間だけども、さすがに10回会って10回とも延々それされたら死んじゃうよ。目が。

(9回までは会うのがまちかの優しさね)

 

ほんとうに人、減ってくぞ。

 

ますます増えていくんだろなと思う

でね、ここイッチバン大切なんだけども

自称プロブロガー的な2万字プロフィールさんって今後増えていくと思うのよ。

 

「もはや戦後じゃない!」って言ったら風呂敷の広さにたためなくなりそうだけども、

でもそういうことなのよ。

 

価値観はより多様になってるのよ。

20世紀と21世紀を比べればすぐにわかるけれども。

 

逆にね、「絶対にこれ」っていうものが消滅している時代でもあるのよ。

 

わたし嫌いだけども「自称ミニマリスト」の大量発生とかもろにその文脈じゃん。

「豊かさ」っていう価値観が多様化した証拠じゃん。

ミニマリストは嫌いじゃいよ。「自称」で中身が伴ってないのに便乗して有名になろうとかお金稼ごうとかしてる人が嫌いなの)

 

そうするとね、

客観的に認められるための材料をなんとか自分でひねり出さないといけないって思う人たちがたくさん出てくると思うのよ。

 

「自分はお金持ってないけどヒッチハイクで100人に会いました!」とかね。

 

それはいいのよ。

 

2回目だけども自己肯定ってほんっとに大事だから。

 

でもね

3つ言いたい。

 

  1. 君の経歴とか今の時代ありふれとるからその先に行きなさい
  2. 自分は特殊だ!だから他は無能!っていう極端な考えやめなさい
  3. 顔出しデジタルタトゥーの意味を心に留めなさい

 

まずね、最初に出てきたマズローさんのお話で、自分を認めて欲しいのなら

壮大な自慢話のその先に進みなさいって話ね。

具体的なスキル、知識、経験。

それをより磨くことを考えた方がいいのね。

自分のことを思い出しても大学生風情が過去の遺産で食えるご飯なんてたかが知れてるから。

 

そんでね。

自分が頑張った、よくやった、すごい、特殊

それはいいけども、それを盾にして(大した盾じゃないけど)炎上系の人たちの猿真似で周りを敵に回し続ける言動をとることをやめなさい。

 

最後に、ネットの情報は一生残るからそのことを忘れないようにしてね。

 

これはね、いい子のみんなとまちかとのお約束だよ。

 

 

 

 

本当に大切なものは誰にも認められなくても絶対に君の中にあるんだよ。

ほんとうに。

何度も言うけど自分のことを好きになって自分のことを信じなさい。

 

「誰かが褒めてくれるから」

 

それも大切だけど、それよりももっともっと大切なことがあるんだから。

君は自分を安く売らなくてもいいんだよ。

 

 

*****

 

こういう風に書くとさ、

とてつもなく鋭利なブーメランを投げてるきがするけども、

それでもそのブーメランがわたしのところに帰ってきてわたしがほっぺた切っちゃうくらいで済むなら、それによってわたしよりも若い人たちが何か感じてくれるならそれでいいの。

 

わたしは別に「ブロガーとして食べていく!」とか「大学やめてフリーランスになる!」とかそれは大いに結構だと思ってるの。

 

でもね、

フリーの世界は甘くなくて、

たっくさんの自称プロブロガーがいうような世界じゃないの。

世界はもっと広くてもっともっと過酷なの。

 

だから、それに耐えうる自分になってたり、そう確信できてからそっちに進むのも悪くないし、

強い北風から自分を守ってくれるのは、体にまとったきらびやかな服じゃなくて自分の中にある熱を持った何かだからさ。

 

「出口が一つしかない」そんなこと思わないで欲しいな。

 

 

そう言うことを思ってるの。

 

 

 

ありがとうございました。まちかでした。

 

物書く人の矜持

おはようございます。まちかです。よろしくお願いします。

 

朝早くに読んでくれてありがとうございます!

ここ最近、たくさんの記事を書きました。

いろんな雑誌や書籍に書きました。

 

※今回は極めて個人的なものです。ご了承ください。ちょっと怒ってます。

 

わたしは文章を書いて生きています。

まだまだライターとしてはあまちゃんで、日々、編集さんや企画の担当者さんに厳しくも優しさを持って指導していただいています。

 

文章は下手くそかもしれませんが、そんなわたしでさえも文章を書くことに少なからずのプライドを持っています。

 

パクるな。

端的に言いますと、今回は怒りのエントリーです。

わずか数名ではありますが、わたしのリアルな知り合いにもわたしのブログの読者がおります。

 

その方から「まちかさ。ブログパクられてるよ」と連絡がありました。

 

まちか「え?そうなの?パクるっても引用とか?」

 

「いや。割とそのまま」

 

はい。

 

ほとんどそのままパクられておりました。

 

そりゃね。毎度のごとく言ってるけど、このブログはただただ趣味で日々思ったこと感じたことのチラ裏エントリーを気長に上げてるだけのブログですよ。

でもね。

それでも、わたしは自分の書く文章とか自分が文章を書く時間とかそのために費やす全ての時間に少なからずの情熱を持って挑んでいるわけです。

 

リンクで引用元を出してください

ありがたいことに、リンクを貼ってこのブログを引用してくださっている方々もおります。

リンクが貼られたことははてなブログのシステムで通知してくれるから、その方々のことは知っております。

 

それは何にも問題はありません。

むしろ言及いただいてありがたい限りです。

 

分厚い専門書だって最後のページに参考文献の一覧があります。

それと一緒です。

たどろうと思えばそこに書かれた情報のソースをたどることができるのです。

 

しかし、今回教えてもらったパクリではリンクはなくただただ匿名の人間のタレコミ情報かのようにわたしの文章が掲載されておりました。その方のポジションークのネタとなっておりました。

 

はっきり言ってイラつきます。

 

いくら駄文を寄せ集めたようなブログでも

0から1を生み出す苦しみは痛いほど知っています。

 

ネットの世界で情報発信することにかかる今回のようなリスクは十分に承知しておりますが、狭量なわたしは怒りを抑えることができません。

 

情報を発信する立場なら

あろうことかそのパクリさんは有料で文章を公開しています。

わたしの文章をその有料会員登録へのリードにしております。

 

仮にです。仮に有料登録をすれば実は文章の最後にわたしのページへのリンクが貼られているのかもしれません。

 

しかしながら、それでは有料登録をした会員にしかわたしの文章であることは伝わらないのです。客引きにわたしの文章を無断で使うな。リンクも貼らず。

遺憾です。

 

さらに頭に血がのぼるのは、その方はその業界では名の知れた方であるということです。

業界で名が知れるということは情報発信には大きな意味があるわけです。

ブランデイング、顧客獲得、情報発信のほぼ全てが営利目的と言っていいわけです。

 

別に営利目的で文章を書くことを否定しているわけではありませんよ。

それはわたしも同じだし。

 

ただ、そういう立場にあり、それによってお金儲けをしているのならば、物書きとしての矜持を持ちなさい。

 

わたしみたいな若造にそんな「矜持をもて」とか言われて恥ずかしくないんでしょうか。

 

駄文でありながらも自分の言葉で発信しようとしている、わたしの知る限りの自称プロブロガー連中の方がまだましです。

 

1ヶ月待ちます。

1ヶ月待ちます。

 

わたしはその方の連絡先も知らないし、有料会員になって連絡先を知ろうとも思いません。

堂々とパクるくらいならわたしのブログも見ていると思いますので。

「見ていなかった」は通用しません。あなたはわたしの文章をパクっております。

 

 

1ヶ月だけ待ちます。

 

3日にしなかったのはわたしの優しさです。

 

いつものわたしであれば48時間以内です。

 

もし1ヶ月後、今の状態が改善されていなければ、それなりの方法で抗議いたします。

 

文句があれば下記までどうぞ。

 

 

macska.karasuma@gmail.com

 

 

ありがとうございました。まちかでした。