まちかです!よろしくおねがいします。

まちかと申します。20代です。思ったことを発信していきます。

宮森はやとさとお話したかったのですがブロックされたお話。

 

f:id:macska23:20160303163354j:plain

 

 こんばんは。宜しくお願いします!まちかです。

 

先ほどふらっと宮森はやとさんのブログを拝見しました。

宮森はやとさんといえば、自称「社会活動家」ではありますが、社会に対する認識が非常に偏ったものである印象を受ける方です(このことは2月くらいにTwitterを通してブログの記事を紹介するという形で、本人に直接意見を伺ったのですが「いいね」的なボタンを押すというアクションはありましたがお返事いただけませんでした)。

さて、そんな宮森さんですが社会活動家を名乗るのを辞め「ソーシャルクリエイター」を名乗るそうです。いまいちわかり辛い肩書です(なんかセンスないなぁ……と残念な気持ちになります)。

別に肩書は何を名乗ろうが自由なのですが、個人的にソーシャルクリエイターの意味がはっきりしなかったのでTwitterで質問してみました。

すると返ってきたお返事は、「ソーシャルクリエイター=社会的な創造者=社会活動家」というものでした。より混迷を深めました。

より混迷を深めた結果、さらに「社会的」というのはどういうことを指すのか伺ったのですが、そこで突如としてTwitterをブロックされます。

 

「突如」というのは50%くらいバイアスをかけようとしました。すみません(まあ2レス目突然のブロック宣言だったので、いろいろ聞きたかったわたしは大変驚いたのですが)。

 

どうも、私のその前に行っていた発言(「やぎの人ととかはスキル付けていこうっていう意識が見えるけど、宮森はやとさんだけはなんかねぇ……。変えずに頑張れよと。まぁモラトリアムの延長で楽なこと続けているからアラサーになっても変わらんのやろな。」と「中身の無い大人にはなりたくない……。と思ったら私も27だった。」)が気に食わなかったようで、「どうしてあなたに納得してもらわなければならないのですか。ブロックします」といったことを言われて無事ブロックされました。

う~ん……。結構、感情的に動く方のようですね。これまで宮森はやとさんを嫌いではありませんでしたがこれは……と思ったら別に今回の件で嫌いになるとかはありませんでした。むしろ人間の弱さを温かく見守りたい気持ちになりました。

その後は友達のアカウントで宮森さんのTwitterを拝見させていただきましたが、私に対して「感情的」だのなんだの言っておりました。引用したいのですが、ブロックされておりますので、各人宮森はやとさんのTwitterをご覧ください(どうもブログ界隈のイケダなんとかさんの影響を多分にうけておられるようです)。

 

個人的には、ちっぽけではありますがわたし自身も「社会を良くしていきたい」という思いがあり、そのあたりのお話を伺おうかと思っていたのですが、如何せん、わたしの発言が正直過ぎたようで、キレやすい若者(アラサー)をキレさせてしまったみたいです。

▼正直過ぎたツイートはこちら

twitter.com

 

 

さてここからが本題です。わたしがなぜ宮森はやとさんにいろいろと興味を持つかと言いますと、ずばり「中身が無さそうだから」です。

類は友を呼ぶ。あんまり中身の無い私は同じく中身の無さそうな宮森はやとさんに興味しんしんです。彼のブログ等を拝見しましても、あまりに中身の無い内容を何とかして薄く引き伸ばしているようにしか感じません。確かにそれは個人の勝手ではあるのですが、にもかかわらず社会活動家(=ソーシャルクリエイター?)を名乗っているところがちょっと気にかかるわけです。

具体的な活動はしているのか?という疑問はそこまで本質的ではなく、特に気になるのは思想と知性の部分です。それが、先のクラウドワークスIRに関するキングコング西野さんのお話についての記事で私が感じたことです。

説明することがめんどくさいので、彼の「社会」に対する認識は過去の記事をご参照ください。

結局、ある種の理想としての社会活動家的な姿は宮森さんの中にもあるのでしょう。しかしながら、その姿は彼自身の社会認識の中でしか図られていないもののように感じるのです。社会活動家を名乗ろうと思ったり選挙に出たりした経験から察して、程度はわかりませんが彼も持っているのであろう「弱きを助け強きをくじく」的な発想の中で、多様化する社会における弱者と呼ばれる層の広さや、それが流動的に変化していることに気づいていないのではとたびたび考えさせられます。

近江商人の言葉に「自分よし、相手よし、社会よし(本当は世間だったと思うのですが社会に言い換えます)」の三方よしがありますが、「相手よし」の相手がかなり限定的であり、かつ「社会よし」もあまり顧みられていないような印象です(一方で「自分よし」は常にあるようで、偏った認識のもと社会活動家的な発言をすることで一部の人たちに持て囃されて気持ちよくなっているのではないでしょうか)。

社会を図る物差しが非常に自己本位的なものに感じる=あまりいろいろな経験をされているとは思えない=中身が……。という図式が大きく外れてはいない気がします。

結局、自分の気持ちいいことだけやって、自分の気持ちいことだけを求めている(宮森はやとさんの場合にはそれが承認欲求の肥大として出ているイメージです)、その山車が彼にとっての「社会活動だ」と感じるのです。

 

これらを鑑みて、宮森はやとさんに届けたい言葉は「もう少しお勉強なすってはどうでしょうか」です。ここで最初の宮森はやとさんをイラつかせてしまったであろう言葉に戻ります。

「やぎの人ととかはスキル付けていこうっていう意識が見えるけど、宮森はやとさんだけはなんかねぇ……。変えずに頑張れよと。まぁモラトリアムの延長で楽なこと続けているからアラサーになっても変わらんのやろな。」

 

 

宮森さん。も少しスキルとか知識とかにこだわってみてはいかがでしょうか?

 

 

以上、まちかでした。

 

※もう人を攻撃する記事は書かないので、これは攻撃ではありませんよ。