まちかです!よろしくおねがいします。

まちかと申します。20代です。思ったことを発信していきます。

事務所移転のお話とか色々

こんばんは。まちかです。よろしくお願いします。

 

今ね。事務所移転のためのお引越し作業を進めてるの。

まあ東京から東京のお引越しだから大したことはないのだろうけど、個人的にも久しぶりのお引越しなので引越しやさんが来る前に準備を終えれるか不安なの。

だから今日も徹夜でお引越しの準備なんだけど、よくある罠にかかってるの。

 

テスト前に部屋の掃除をしたくなる

 

そうなの。まさにそういう状況なの。

まちかの場合には文章を書くこと自体はとっても好きだから、やるべきこと(お引越し)ではなく今やらなくていいこと(ブログの更新)をしているの。

小学生の頃から治らないこの悪癖に今になってちょっと悲しくなってるの。

 

ついに区部進出

これまで事務所兼自宅として使ってた今のおうちは東京とはいえかなり西の方だったの。うん。それはもうとっても西。高尾山とかそういう世界。

取材のたびに電車に乗って1時間くらいかけて新宿に出てたの。

でも、今度のお引越し先はね。

やっと区部になるの。

それはいいことか悪いことかわからないんだけど、わたしは小さな目標で区部に移るっていうのがあったから嬉しいの。

驚くことにお家賃は4倍になるのね。そのぶん部屋数も綺麗さも全然違うの。

生活のメインスペースとお仕事のお部屋を分けることさえできるの。

これを嬉しいと言わずしてなんというのか。うん。言葉も見つからない。

ちなみに新宿までの時間は10分くらいになるの。交通費かからなくなるし、そのぶんを家賃に充てようと思うの。

 

このブログについて

このブログは思いつきで始めてみたの。

今ね。まちかはこのブログを含めた3つのWEBサイトと1つの事業をやってるの。

WEBサイトについてはこのブログの後に作ったものだけど、結構成長しているの。

でもそのサイトではわたしの個性は全く出てないの。自分のメインの仕事とか広告にかかわるようなサイトだからまちかの個性はいらないの。

それはちょっと悲しくもあり、「お仕事だぞ!」って気持ちをくれるものでもあるの。

その点、何も考えずに言いたいこと言ってるだけのこのサイトはちょっとした清涼剤かつわたしの個人的欲求を満たすものでもあるの。人生に息抜きは必要ね。

 

自分は何者になりたいのか

いつもはあんまり考えないけど、夜遅くまで起きてるとついつい考えちゃうの。

「自分は何者になりたいのか」

将来の目標や夢とはちょっと違って、どういう人間、どういう人生、どう死ぬか。

そういう方向のなんというかもっともやっとした、そして決して明るくはない色の世界の話なの。

そうなの。人生に関する深い思考をするときに、まちかの頭の中はとってもくらい色をしているの。それは前向きな考えが出てこないとか、キラキラした将来が見えないとかそういうことじゃないの。

生きることとそれにまつわるあらゆること。全部足して2つに割ればきっとトントンなんだと思うけど、そういう外側のことに目を瞑って人生を考えれば少し静かでいて薄暗い世界が広がってるの。

「自分は何者になりたいのか」

考えてると寝れなくなるの。

 

自分に対する肯定感

そういうの全部ね。

自分に対する肯定感、自己肯定感に端を発してるのではないかと考えてるの。

思えばわたしは小さな頃から自己肯定感が低かった気がするの。もちろん、大人になってから思い返してそういうバイアスをかけているだけかもしれないのだけど。

でもやっぱりそうだったような気がするの。

何をやっても結構否定をされることが多くて、小学校の高学年くらいから「自分は変わってるんだろうなぁ」と感じ出して、中学の頃にはほとんど確信に変わっててたの。

だからあんまり授業には出ずに保健室にいたり、学校の屋上にいたり、途中からはバスに乗って学校に行かずに、学校を通り過ぎて遠くの街に行ったりしてたの。

そういう時期は本ばっかり読んでたの。

思えばこの時期から悪い意味での批判的思考にパラメータが振り切れたのかもしれないの。

だからね。今子育てをしているひと、周りに子どもがいるひと、子どもたちをとにかく褒めてあげて。子どもたちの前向きな意見や活動を全力で肯定してあげて。

わたしに言われるまでもないかもしれないけれど、本当にそう思うの。

 

また引越しの話

ここに引っ越してきたとき、わたしの持ち物は本当に鞄ひとつだったの。

ちょっと大きめのカバンだけど。

色々あって人生の岐路に立ってたわたしは、住み慣れた街を離れて自分自身の再起を図るために覚悟を決めた引越しをしたの。

それは物理的な逃避に見える精神的な逃避だったと思うの。

それから4年の時間が経って今ままた引越しを迎えてるの。

あのとき何もなかった部屋はいろいろなもので埋まってたの。

捨てればいいのに捨てれないもの。そういうものをいつのまにか抱えてしまってたんだなぁと思うの。ものに囲まれた生活は結構安心するものなの。手元に何かあると、それに自分の安心を重ねて本当は目に見えないものを目に見えたつもりになってるの。

でも引越しでそれを「捨てようかどうしようか」と迷うときに、改めて重要なことに気づかされるの。それが生活の全てを守っている大きなシェルターのようなものだったのだろうけど、その行き先を選択する自分の前では何も力を持たないものになっていたの。

 

本当の安心、落ち着ける時間や空間はものだけが用意してくれてるんじゃないということに改めて気づかされたの。

 

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし

どうしようか。

400年前に日本中が争っていた時代を終わらせた人はこういうことを言ってる。

この言葉には続きがあるんだけども、本人がどうだったかのかわからないけど、おそらく謙虚な人だったんだろうなぁと思うの。

今のライター業界、ネットビジネス業界は本当に戦国時代なの。広告の仕事に手を出すことは、人間の闇を見るのとほとんど同じ意味を持っているの。

わたしはそういう世界にいるの。そしてその世界を斜めから見ているつもりが自分もズッポリと踏み込んでしまっていることを忘れていたの。

この言葉を書いた瞬間に思い出したの。

 

及ばざるは過ぎたるよりまされり。

 

その通りなの。

文章を書くことに救われた。

そう思える梅雨が近づく夜なの。

 

おやすみ。

 

 

ありがとうございました。まちかでした。