まちかです!よろしくおねがいします。

まちかと申します。20代です。思ったことを発信していきます。

ポリアモリーについてまちかが思うこと

f:id:macska23:20170708180942p:plain

こんにちは。まちかです。よろしくお願いします。

 

夏だね。いよいよ。

 

わたしは夏が好き。

インドア派のわたしがひんやりしたかき氷を思いっきりお外で食べられる。

この季節はなくてなはらないものです。

 

 

 

 

そんでもって今日の本題はポリアモリーについてなの。

 

きっかけはこの記事

headlines.yahoo.co.jp

 

 

ポリアモリーって何?

簡潔にいえば、関係者の同意のもとで複数の人たちと性的な関係を築くことだそうです。

割とカタカナ語に強いと思っていたのだけど、知りませんでした。反省しています。

 

アフィサイト紹介しているサイトの説明だと下記です。

つきあう相手、親密な関係を同時期に、一人だけに限定せず、全ての関係者が全ての状況を知る選択が可能であり、全員がすべての関係に合意している、という考え方に基づく行為、ライフスタイル、または恋愛関係のことを指す。

出典:https://mdpr.jp/column/detail/1553196

 

言っていることは理解できます。

まぁ、今の日本で広く受け入れられているというか法的に保護される関係は一夫一妻の婚姻関係、なんとなく婚姻外の関係もそれに準じてる感じ。

だからそことは全然違う男女の形だと。

 

わたしは正直言って「気持ち悪い」と思う

最初にわたしの立場を書いておきます。

 

「気持ち悪い」

 

わたしは男女の関係にはかなり保守的な人間だと自覚しています。

 

だからこのエントリーは男女の関係について極めて保守的な人間が書いたものであることをご理解ください。

 

「生理的に無理」と言いたいところですが、

わたしのお家はずっと昔から先祖代々みーんなローマ・カトリックの信徒なので、お家での端々にそう言う教育が入り込んでいたことは容易に想像できます。

そのため、わたしの「生理的」が宗教・社会的に作られたものである可能性が高いです。

なので生物としての本能とかそう言うのではどうなのかわかりません。

 

ただ、明確に言えるのは現時点でこの話を聞いた時「気持ち悪い」と思ったのがわたしの率直な感想です。

 

更にいえば、一部の人たちの都合によって社会全体が歪められようとしているような、そう言うものを感じるまであります。

自由、平等を語っておいて、現状を鑑みるにその実かなりのパターナリズム的なものではないかと一抹の危機感をつのらせているところです。

 

そもそも

そもそも法律に照らせば、男女間の「交際」についてはその定義が曖昧です。

いい例が「結婚」の関係は役所に届け出るけど「交際してます!」って役所に届け出る人はいないです。

婚姻関係や婚約といった関係になければ男女間の交際の形をどうこうするのは、本人たちの自由なわけです。

その関係において「わたしは複数の異性とセックスするから、あなたも複数の異性とセックスしていいよ」という同意を作るのは当事者間でそらもう自由にやってくれればいいわけです。

そこを否定はしないし個人の趣味趣向まで口を出すほどわたしはエライ人間でもないです。

だけど、それによって生じる当事者間の現実的な問題や、そもそもその関係の前提がただただ当事者間の「良心」に依っていて、更にはその「良心」の悪用の可能性を考えた時に、煽り系のメディアが「ポリモアリー女性が増加」とかやってるのは本当に気持ち悪いし、何か言わずにはおられませんでした。

 

matome.naver.jp

▲煽り系メディアの代表格。ささっと加担者(く○ライター)ごと消え失せろ

 

ポリアモリーを肯定的に捉えてみる

何事も肯定的に捉えてみることから議論は始まるのでわたしも肯定的に考えてみます。

肯定する考え方はたくさんあると思うのだけど、「種の保存」とかそう言うことを言い出すのは完全に違うと思っているので別の方向で考えてみたいです。

 

1.法的に根拠のある男女間の身体および財産の独占・分配契約

結婚と言うものに疑問を感じるのはアリだと思います。

ポリアモリーの主張もそういった結婚に対するアンチテーゼ的な意味を少なからず帯びているはずです。

そう考えると、社会が流動化してきて個人の自由や平等といったものがより認められる社会に適した考え方だと思います。

 

実際に専門家(?)の方もこう言っています。

 

それもありますが、常識に囚われずに「思考する力」を持っている方が多いという印象ですね。人が人を独占することに疑問を感じたり、結婚制度そのものについて考えたり。「愛してはいけない人がいるなんておかしい」と思い、ポリアモリーの世界に興味をもったという方にも出会いました。

出典:複数人と同時に性愛関係を築く「ポリアモリー」とは? 浮気や不倫と異なる3つの理由|ウートピ

 

婚姻関係が規定する個人による個人の独占。

確かにそれは極めて独善的です。

婚姻という関係が「法的に根拠のある個人間の身体および財産の独占・分配契約」である以上、「リベラルな社会」においてポリアモリーの主張は支持されうるものであると思います。

 

2.関係者皆の同意

もう一つ。

ポリアモリーの重要かつ肯定できる点は関係者が皆そのことに同意しているという部分です。

一人の人間が複数の人物と性的関係を結ぶことをその人のパートナーも承認している。

そういう状態ができてこそ初めてポリアモリー的な関係が成立するわけです。

 

そうなると、関係者間に不要な不和はありません。

婚姻関係であれば、「不倫」とりますが、ポリアモリー的な関係が構築されていれば、複数の人とセックスすること(無論、性愛に限ったことではないですが)にインモラルなものは一切ないのです。

自分のパートナーの全員がそれに同意していれば、より「自由な」生き方が実現すると思えます。

 

 

 

と言った形で肯定的に捉えた上でわたしの「主張」をしていきたいと思います。

 

ポリアモリーが依るのは「良心」だけ

ポリアモリーに関する記事を読んでわたしが最初に感じたのは、それが「良心」に依るという最も危険な関係であるということです。

 

「良心」を前提にした関係だということは、関係構築に考えられうる「良心」を欠いた人が入り込めば容易に崩壊するということです。

 

ポリアモリーは「全員の同意」が前提です。

これがなければポリアモリーではありません。

 

「男女平等」という不確かな原則

そして、この「良心」の問題は「男女平等」という大原則に則っているのです。

 

この点に関して、先の専門家(?)の方もこう述べています。

不倫、浮気、複数交際……関係を持つ全員が合意の上で成り立つ“ポリアモリー”という関係。ポリアモリー研究者の深海菊絵さんは「そこに権力関係がもともとあるかないかも大きい。ポリアモリーは“男女平等の上で”というのが1つのポイントになる」と分析した。

出典:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-00010001-abema-soci

 

この「男女平等」「相互に権力関係がない」という状態が非常に厄介な問題で、かなり限定的なコミュニティーでは成立しているのでしょうが今の社会が完全にそれらを実現しているとは思えません。

 

そのクリアしていないものをクリアしうるのは個人間で「男女平等」と「権力関係の消滅」を実現しうる「良心」になるのですが、社会全体で「増えている!」と煽るほどそれを実現できているのでしょうか。

 

男女平等についてはまだまだ道は長そうです。

個人間の権力関係については、例えばある家庭で「働き方を知らない家事を担当してい方と家計を全て支えていた方」(極端な例えです)という関係が成立しており、どちらかが関係の解消を迫った時にどちらが優位になるかは目に見えています。

 

ポリアモリーについて考えられうる先の危機

男女平等や個人間の権力関係の消滅が実現できていると言えない社会で、「良心」にだけ依って複数の異性と性愛関係を持つのは危険です(ここではあえて「異性」とします)。

 

1.ポリアモリーとしての関係に潜む「良心」の欠如

Aさんは都内の企業に勤める会社員だ。ある日、婚姻関係にあるBさんから「実は私はポリアモリーです」と告げられる。

Bさんは続けて「今、複数の異性と性的な関係にある」と告げる。

Aさんは当然納得がいかない。その後、2人は泥沼の争いを繰り広げることになる。

 

これは容易に想像できそうです。

「ポリアモリー」という言葉だけに踊らされてそれが規定する相手に対する「良心」を欠いた人がやりかねない。

 

今後、様々なメディアでセンセーショナルに取り上げられそうな気配を感じるので戒めとして残しておきたい。

 

ポリアモリーとして関係を築くのならば、絶対に「交際が始まる最初にそう告げるべき」なのだと。

 

更に言えば、「ポリアモリー」を盾にして不当な関係を築かれる場合もありそうです。

どちらかが経済的に他方に依存していたなら、経済的に依存している方は嫌でも相手のポリアモリー的な思考を認めざるを得ない場合も出てくるかもしれない。

 

そんなの悲劇でしかない。

 

2.子ども

 

複数の大人が性的な関係を持つということは子どもに対する責任をその大人全員で分担することになるはずです。

 

経済的なものはもちろん、何よりも親子の間にある独特の関係をも共有することになるはずです。

もちろん、事前に「子どもを作るのは特定の相手だけ」と契約書を作っておくこともあるかもしれません。

しかし、避妊していようがいまいが100%はないはずです。

 

もし今後、言葉だけに踊らされたポリアモリーが増えるのであれば、

絶対にこの問題(すでにいまの社会が抱えている問題)をより複雑にしたより悲劇的な問題が起こるのは目に見えています。

 

他にもたくさんの問題が考えられます。

それは「結婚を前提とした社会」だから起こりうる問題ではなく、

性的な関係を「良心」のみを根拠として構築する故の問題です。

わたしが「気持ち悪い」と感じたのは、まさにこの点についてなのです。

 

 

多様性は認められるべき

もしこのまま社会が「複数の異性と関係を持ち続け、それが全面的に肯定される方向」に流れ続けるのであれば、わたしは今後一切セックスしなくてもいいかなと思っています。

はきりいって不要かつ極めて気持ちの悪い「問題」に巻き込まれたくない。

そう思うのです。

 

もちろん性の問題は、LGBTQ等々のお話にも絡むものがあり極めてセンシティブなものです。

多様性は広く認められるべきです。

ただ一方で、今回取り上げたポリモアリーに限定して言えば、社会が未熟な段階では「良心」に依るしかない関係が多数を占めます。

そうなるとその関係に必要な「良心」の欠如した人間も必ず出てきます。

 

そうなることを絶対に忘れてはいけません。

 

どこかで手痛い思いをすることになるのか。

どこかで泥沼の争いに巻き込まれることになるのか。

 

個人の判断ではありますが、どうか後悔のないように。

 

 

まちかでした。ありがとうございました。